震災前の三陸リアス鉄道の駅(小石浜駅)

震災前の三陸リアス鉄道、小石浜駅。

ほんの小さな鉄道で、誰が利用するのかとも思うが、吉浜、越喜来(おきらい)、ほか、人が住める湾ごとに小さな無人駅があり、たしかにその、人口100人程度の村(small village)規模の5-10km離れた集落を、老人子供、車の持てない/壊れた人たちが移動するためには、あのちっぽけな鉄道は必要だと思う。

各写真とも2007年9月23日撮影。

 

なぜ三陸リアス海岸に縁があるのかというと、震災前に北里大学水産学部(大船渡市)を出た人に、都会育ちの僕が夢のように憧れていた山女・岩魚(やまめ・いわな)という魚が岩手県の三陸沿岸で爆釣すると言われて、ポイントを教えてもらったからだ。

本当に、現地は車でないと到底移動できないような地形で、鉄道(正確には気動車だが)が通っていることにびっくりして、釣り行きがてら、たまたま撮影したのだ。

 

Googleフォト経由で発掘したため、原版のEXIF情報は失われている。写真は体系的に保存保管しているが、HDDクラッシュ等で救済措置なしにデータが喪失することがある。もちろん厳密にはどこかにあるから、Googleフォトで見られるわけだから、5、6個の過去のHDDと、20個くらいの過去のSDHCカード等記憶媒体を掘れば理論上ENIF付きのデータが見つかるわけだが…(略)

 

(看板。こいしはま(小石浜))

 

(ホームより北方面。植生が移植杉で、右側は造成されていることがわかる。)

 

(死ぬほど長い階段。鎌倉の寺よりきつい階段で、40-50mあるんじゃないかと当時は思った。)

 

(時刻表。お昼は1時間半おきだ。)

 

(ホームから見た集落と海。海沿いに昔の家が建ち、手前(駅側)は造成したばかりの住宅もあった。青いのが私の車。)

 

(運賃。大船渡からかなり離れたこの小さな町から、釜石、宮古まで行ければ、それは生活している人には非常に恩恵があるに違いない。小学校、中学校、高校など自転車以内の生活圏で生きていく必要があるときに、40km先まで移動できる手段があるのとないのではわけが違う。)

 

(運賃表。無人駅なので電車内で払うと思われる。津々浦々と言うが、ほんとうに1つ1つ湾ごとに駅がある。)

 

三陸リアス鉄道は、震災復興で再建されたらしい。鉄道そのものは、炭鉱や漁業で岩手県沿岸が栄えていた時代の古き良き時代の名残だったのかもしれないが、この鉄道のおかげで、集落と集落、集落と町が今でも繋がっていることを願う。この地方の漁村で、山間部を跨ぎ10km近く離れた通学をこなせるのは、ほぼ鉄道しかないのだから。

 

(以上)